偏差値60の壁なんてない

中学受験のサポート歴20年以上の経験から、心構えや考え方を公開します。

子供への接し方を変えたい時は、行動の置き換えと無財の七施。

私の受験サポートは、(1)親の関わり方と環境の改善、(2)子供の学習意欲と学習能力の改善、(3)学習計画や併願スケジュールなどの戦略、(4)子供の学力分析と学習指導、の4つが柱です。

家庭教師や塾講師も上記のことに関わってくれますが、「勉強を教える」イメージが強いので、「受験コンサルみたいなもの」とお話ししていました。四谷で偏差値45くらい取れる子なら、適切な方法に量が伴えば学力は伸びるので、学習への取り組みや周囲の関わり方を整えることが大切。

子供と過ごす時は、算数や理科の場合は用意した問題をやらせて、不正解問題を少し解説して、またやり直す。国語の場合は色々な質問をして子供に話させる。あとは雑談で、教えた子たちも覚えている大半は、雑談の内容と勉強の方法の部分です。

親でも同じようなことが出来ますね。独学なら別ですが、SAPIXも四谷も優れたテキストと授業があるし、積極的に活用すれば質問にも答えてくれるので、学習内容に関しては上手な解説など出来なくても良い。子供の吸収力を上げれば良いという考えです。

禁止事項を増やすより、良いことをやるようにする。

どうやれば子供が伸びるか。その子の性質や素質、環境や関わり方で最適解は違いますから、親が色々と本やブログを読んだり、反省したりして良さそうなことを試していくしかないですね。

そこで今までと違った取り組み方を試そうとか、接し方を変えようと決意した場合は、禁止事項を増やすのではなく、やるべきことを明確に描き、それを「演じる」ところから始めることをお勧めしています。これは受験に限らず、今までの習慣や方法を変えよう、改善しようという時には有効です。

人間は基本的に一つのことしか出来ないので、良い行動をしている間は悪い行動が出来ません。何かを禁止してそれを気にするよりも、こういう時はこうする、と決めていく方が、前進しやすくなります。

例えばダイエットでも、あれもこれも食べちゃダメ、でやっていくのはなかなか難しい。食事制限の先に別の目標があったり、それを継続している自分の姿を好む意識があれば可能ですが、そうでなければ挫折やリバウンドが多くなります。

それよりも、食前に野菜をボウル一杯分、必ず先に食べる。これだけ決めて、あとは自由。野菜の量を増やすと、ほかの摂取量を減らしやすくなります。コスパは良くないけど、袋入りの千切りキャベツやカット野菜を買って、食前に一袋でも良い。理想的なメニューだけでなく、最低でもキープ以上のメニューも複数用意し、いつもの行動を置き換える。

子供への接し方も同じ。「怒ってはいけない」って縛るより、「どう振る舞うか」を決めておく方が変えやすい。例えば、前回の記事でも「教えすぎてはいけない」って縛ろうとするより、「条件を書き出したら1分黙る」って決めた方がうまくいきやすいし、積み上げもやりやすくなります。

怒らないようにしよう、という時。

基本的に、怒りや小言を我慢していても、そのうち噴火するか、溜め込んだことが負荷になって元気がなくなります。我慢を使うべきなのは最後の一歩、継続的にはあまり使えないと考えましょう。少なくとも、習慣を変えるのには適しません。

そもそも子供が元気に生きていて、なんの不満があるんだ、幸せじゃないか、という意識はあった方が良いですね。でも、やっぱり合格が欲しいし、「子供の受験を成功させた親」になりたい。お金も労力もかかっているし、他の人との関わりもある中で、完全に達観するのは難しい。

ではどうするかと言うと、効率を考えることと、人に接するという認識を強く持つことを勧めます。

まず効率。10年も親をやっていれば、経験も積まれていますね。叱って、怒って、子供に定着すること、少なくありませんか。本当に危険なことや悪いことを叱った時は、反省が見えたこともあるでしょう。でも、勉強や片付けなんかでは、効果は薄かったりする。

叱ってもお互い気分が悪い、反省に辿り着くのに時間がかかる、数日もすれば効果は消え、そのことに余計に腹がたつ。無駄ですね。貴重な時間や、子供の気力や尊厳を奪うリスクも考えれば、損失かも知れない。

叱って良いのは、暴力や暴言。人にしていけないことは、叱って良いです。でも、そこに至る理由は考える。どうしてそうなったのか、叱る立場の反対側、子供に寄り添い、味方をする弁護士になったつもりで、考えてみましょう。

その上で、叱る。経緯や気持ちは理解しても、人を傷つけてはいけないこと。自分の身に跳ね返ってくること。社会的な孤立にもつながりかねないこと。これを親としてのスタンスにも結びつけていくと良いです。

人にしていけないことは、子供にもしてはいけない。

私は別に、子供の心を救おう!とか、そういう目的で書いてるわけではありません。受験して良かったという結果を得るのに、怒り過ぎても無駄、もしかするとマイナスですよ、って伝えたいだけ。時にはピシャッとやるのも良いですが、まぁ数ヶ月に1回くらい、本当に悪いことをした時などに限定した方が無難です。

怒鳴るとか殴るだけじゃなく、嫌味を言ったり、イライラやがっかりした態度を見せることも含めて、職場や友人関係よりも多く出ているなら、それは「親としての責任感」ではありません。人に対する遠慮を、子供には怠っている。どうして人には遠慮するのか。それを子供にしても良いものかどうか。

親として未熟なのも、失敗するのも仕方ありません。でも、関わりの深さに甘えている部分があったら、変えたほうが良いです。他人に対してコントロールできることを、自分の子供に対して怠っているなら、それは必ず改善できます。既に持っている力を、適切に使えるようにするだけ。

自分のチェックに最適な、無財の七施

仏教の教えに、無財の七施というのがあります。簡単に言えば、お金がなくても人のために出来ること。詳細に興味のある方は調べて頂くとして、よく使うのがそのうちの5つ、眼施(優しい目つき)、顔施(優しい表情)、言施(優しい言葉)、身施(模範的な行動)、心施(心を寄せること)です。まずは普段の自分を振り返ってみましょう。

 眼:監視するように、睨んでいませんか。

 顔:怒ったり、イライラしたり、がっかりした顔をしていませんか。

 言:問い詰めたり、詰ったり、怒鳴ったりしていませんか。

 身:ダラけて後回しにしたり、恩着せがましく動いていませんか。

 心:自分の立場や正論に寄って、子供の心から離れていませんか。

で、先にも書きましたが、怒っちゃいけない。険しい顔をしてもいけない。詰問してもいけない。ダラけてもいけない。自分本位に話してもいけない。となると、なかなか難しい。人間は、禁止事項で縛っても十全に力を発揮することが難しいので、良いと思う行動を描いて、それを実行することに集中しましょう。

振る舞いは、ちょうど良さそうな人物を描いておくと良いです。ホテルマンや執事。優しそうなお医者さん。落ち着いた佇まいのお花の先生とか、優しい食堂のおばちゃんとか。自分が「こういう人って良いな」と思う人の真似をする。毎日メモを見て、書き写して貰った親御さんもいて、効果もありました。これに取り組んでいること自体も、隠しても良いけど、宣言してみるのも良いですよ。

 

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