偏差値60の壁なんてない

中学受験のサポート歴20年以上の経験から、心構えや考え方を公開します。

秋からの100日の過ごし方(1)スタンスを決める。

仕事に取材に台風に個別対応、時間の足りない日々を過ごし、ひと月半で5kg増量。野菜を食べよう。そんな自己管理も足りない私ですが、今日は受験に向けた年内の過ごし方その1。だいぶ押し付けがましい感じになったけど、揺れ動いて相談してくる人もいるので、まだブレのある人向けにそのまま載せます。100日の過ごし方の記事は3本くらいになりそうなので、もうこの段階はクリアした人は、次以降の記事で。

 

中途半端は一番ダメ。

自主性の記事などでも書きましたが、どんな方針で行くのか、そろそろ腹を括る時期です。2人で子育てしてるなら、パートナーとも意見を一致させておきましょう。例えば、自分は頑張る、相方はそんなにしなくても、ってパターン。この場合、文句は子供の前で言うな、自分だけに言えと。これだけは調整しておいた方が良い。

自主的に意欲を持って取り組んで、それを応援しただけ!ってかっこいいですよね。でも、上っ面じゃダメです。どんな結果でも本当にガッカリしないこと。本人が、自分の意思、考えた取り組みで、努力した。その結果、どこも受からなくても、頑張ったから良かった。次に必ず活きる。そのことを誇りに思える。一片の悔いなし。それなら良いです。本心ですか?

 

過保護でもOK。

出来もしない事を、フリだけして、実はガッカリを匂わせる。これじゃダメ。もしそういう要素があるなら、親としてちゃんと押し付けましょう。責任も負いましょう。等身大の、欲も見栄も弱さもある親として。でも自分の子供に、特別な愛情だけは持っている親として。外野に過保護って言われても良い。

大体、過保護だなんだってのは、特殊なケースを引っ張ってきて中途半端な正論風くっつけたしょうもないのが多い。何を基準に「過」って決めるのか。大人だって自立してるやつは少ない。言われたからやった、自由がない、ってね。

会社なんていつでも辞められるし、事業なんて今日からでも始められる。無知なことも本やネットで学べるし、知らないジャンルの人にアポとって学ぶことも出来る。と、それだけで武器になる。出来る人はレアだから価値になる。出来ない人の方が多い。

自分の頭で考え抜いて、恥や負けや損のリスクも取って、実際に行動してしんどくてもやり抜いて結果出せる人がどれだけいるの、って話。

本当に人を育てる、外から影響を与えたいなら、手をかけ目をかけ、がっつり食い込まないと無理。それ無しで出来る子は、好奇心と才能と成功体験の循環がうまく噛み合った、極々一部のラッキーさん。

良い教育で、大人までの20年かけて育てるなら近付くかも知れないけど、まだ子育ての終わってない10年ちょいでもう結果出てるのは、ラッキーなだけ。俺は出来たよ〜って人には、天才だったんですね〜で終わり。求められてもいないのに自分を押し付けて否定までしてくるのなんて、雑魚アピールと一緒。

軍があった時代の山本五十六さんだって「やってみせ〜ほめてやらねば〜」って言ってるでしょう。元ネタの上杉鷹山さんなんか、江戸時代の大名。軍人や侍のトップが残して今に伝わる名言が、手本を見せて説明もして、更に実行を見守れってこと。山本さんは更に褒めろ認めろって足してる。

ネットに転がってる、誰の役に立ったのかわからないような正論もどきより、時代に耐えて人の役に立ってきた言葉を信じた方が良い。

麻布でも聖光でも渋幕でも、たくさん機会を与えてる。教師が引率したり、課題を与えたり、大学や社会人と結びつけたり、海外に出したり、お金もかけて。補習も追試もある。なんでかって、難関校に合格するような子でも、そうそう自分だけで世界を広げたり、努力を継続することは出来ないから。誰かが刺激を与えて、努力を見守って、育っていく。

親として、自分の感じること、自分の願い。それをベースにして良いです。中学くらい、親が仕向けてOK。義務教育って国が決めてる年齢。子供は必ず学校に通わせろ、個人がどう思うかなんて知ったこっちゃない、ってルール。その中で、親が良いと思う学校に進ませることは、悪いエゴじゃない。与えられるものを与えきったら、大学は自分で選ばせたら良い。

で、関わり方に気をつける。尊厳を傷つけるのはダメ。干渉する=命令する、叱る、叩く、怒鳴る、蔑むじゃない。一緒にやる。励ます。身の丈に合う一歩を支える。結果を一緒に受け止める。そういう形の干渉が良い。

正論を語っても通じない。頭でわかっても、実行力が乏しい。他に目移りする。集中が途切れる。気持ちが折れる。まだ幼いから。そこをカバーして、やり抜いた経験をさせる。転んでも立ち上がる。大学までの3分の1、4分の1の地点で、一度勝負を経験しておく。あわよくば、優秀な子の集まる学校に行かせる。そうでなくても、豊富な機会を与えてくれる学校に行かせる。良いこと。

 

怯えを捨てる。無理でも我慢する。

「受験を親のエゴで押し付ける悪者になりたくない」「こんなに頑張ったのにダメだったら」って怯えは捨てましょう。批判と負けの覚悟は決めたことにする。本当は怖くても。どんな関わり方をするかよりも、腹を括ることが、親力の一番の見せどころ。

稽古、勉強、練習、そういうきつい経験は、人を成長させます。思考は自分の経験に基づくから、限界値を引き上げた方が「出来そう」「やってみよう」って思えることの幅が広がる。勝って得るものもあるから、なるべく勝たせてあげたいけど、勝ち負け以前に、何かを目指して鍛えることだけで大きな意味がある。

だから、勝手に自分でやる子でなければ、親が関わってやらせるのはアリ。やらせるには、寄り添わないとダメ。約束したから〜で出来る子は、見てる親の側に「やらせる」って発想自体が出てこない。

親がそう感じるのに、中途半端に自主性とか理解を求めすぎてはダメ。見えている現実と理想論のごった煮になってる。混ぜないで、理想と現実のギャップを埋めるために親の力、時間やお金を使う。

ここの区別をつけておかないと、消耗するだけで意味のない時間が増えてしまう。「やらせる」必要があるなら、自分の時間を割かないと無理。自分の関われる範囲までしか、子に求めない。

関われる時は一緒にやって、そもそも叱る要素を無くす。すぐに折れたり気が散ったりするから、しっかり見守るし、承認してやる気を継ぎ足す。時間が多くても少なくても、関わってる時間=プラスにすること。

30分しか関われないなら、30分の家庭教師として来たつもりで、プラスになることをやる。叱る時間は要りません。宿題やってないことやゲームやったこと叱るだけで帰っていく家庭教師、要らないでしょう?不安がって見せる必要もないはず。たまに厳しいことは言っても、受験当日まで「やってみせ〜ほめてやらねば〜」で良いです。

 

人格否定はダメ。きつい練習をするのは良い。

10月でも気が抜けてようが、11月でもサボってようが、1月になっても隠れてゲームやってようが。見つけたら一言、とにかくやる。こっちに全振りしてください。不安を紛らわせるために子供にぶつけて、つまらないマウンティングをしない。

もし負けても、お前がダメだったからじゃない、私の持っていきかたが足りなかった。コーチとして、まだまだ未熟だった。仕方ないです。親だって初心者なんだから。でも、最善は尽くしたって言える方が良い。やるんだから。結果は自分たちだけのもの。

怒鳴ったり殴ったり泣いたりはナシですよ。怒りは怯えの裏返し。ビビってない!って意地張って、平気な顔をする。人格や将来の否定も絶対にナシ。「まだ」出来ないだけ。そのうち「必ず出来るようになる」から、やることの管理、内容のチェック、必要なくなる日まで全力でやる。やる気にさせる、最後までやらせる、そういう部分の責任を負う。

家庭環境だって違うんだから、自分を人と比べない。もっと出来る親、放置してる親、色々いるだろうけど、よそはよそ。自分の出来る、最善だと思うことをする。

覚悟をしっかり出来れば、その選択肢での最善の結果が出ます。勝負に参加する以上、勝ちか負けを引く。別に中学受験がゴールじゃないので、どっちも良い経験。腹を括って、一緒に闘って、無駄に傷つけなければ、肥やしになります。

もし負けを引いたら、高校、大学受験でやり返せば良い。本気で力を合わせて取り組んだら、その土台は作れてるはず。最初の周で終わりじゃない。最後の周まで6年ある。その6年、いろいろな機会を与えてくれる学校は、私学にはたくさんある。

全部任せて、どんな結果でも頑張った事を心から認めるか。しっかり関わって、自分が大きく責任を負うか。どっちを選んでも親の心配は尽きないけど、笑顔を見せた方が良い。腹を括って100日を過ごしてください。

 

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