偏差値60の壁なんてない

中学受験のサポート歴20年以上の経験から、心構えや考え方を公開します。

中学受験に挑む子供を支える、夏から秋にかけての親の心構え その2

ここしばらく、結構な数のご相談がありました。色々な悩みや不安を感じたりすることがあっても、懸命に受験に向き合っている方が多いことを実感しています。全ての人に合う必勝法みたいなのは書けませんが、他者の視点を知るひとつとして活用して頂けるような記事を書いていければと思います。

今日はちょっとまとまりのない記事になったので、あとで加筆修正するかも知れませんが、暫くお休みしていたので公開しておきます。

 

おならぐらい出ちゃっても良い。

人間なんで、毎日食べて出して眠ります。子供がいるのもちょっとした秘め事の結果で、そんなに大っぴらに語るようなものでもないけど、恥じるものではないですね。

弱さや汚れもあるけど、それを人に見せずに始末したり、綺麗に身支度することだって出来る。数日お風呂に入らなければ臭うけど、体を洗って清潔な衣類を身につければ臭わない。用もトイレで済ませば良い。

親になったら完璧な人間になれる?自分よりはるかに弱い子供にとって、絶対的な存在だから?そうあろうとする努力は続ける方が良いですね。でも、そんな簡単になれるもんじゃない。失敗して、反省しながら成長していくしか手はないです。

子供の前で完璧を目指す必要もないし、おならぐらい出ても良いでしょう。家族なんだから、少しくらい隙が出ることもある。でも、顔の前でするとか、まして●まで投げつけたりするのはまずいですね。

自分の弱さも同じこと。それなりに遠慮して、始末する。わざと人にぶつけないし、うっかり出たらあら失礼。そういうエチケットが大事で、弱さや未熟さが無くなったら凡人は超えてる。世の中には素晴らしい人もいるみたいだけど、そんなに凄くならなくても受験は乗り切れます。

だから、自分の弱さも“おなら”で留めることを考えましょう。節度ってもんがあるし、やっぱり一番の味方でありたい。子供のこと、特に人格とか可能性を否定するような言動に気をつける。もちろん肉体的な暴力も振るわず、心と体を傷つける事がないように。

 

短気になるのは自分の期待値から。

例えば、手紙を出したとします。ポストに投函してすぐ、自宅の郵便受けを覗くって人は、そういないですね。翌日も見ないでしょう。文通だと、一週間や二週間気にしない人や、忘れてる人もいるでしょう。

メールだと、翌日くらいまでには返事を期待することが多くなります。業務メールだと数時間とか数十分にまで縮むこともある。これがSNSスマホ宛メールだと数分〜数十分単位も割と普通で、いつものペースで既読がつかないと心配になったり、既読スルーだとすごく気になって、嫌われてる不安や怒りまで感じたり。

同じ、自分が伝えたことへの相手の反応を待つだけなのに、手紙、メール、SNSで全然違いますね。自分が「こういうものだ」と思っている枠組み+期待(≒不安)の組み合わせはとても強力で、短気とか怒りはこの影響をものすごく受けます。

親の介護が辛いのも、この期待値の影響が大きいです。恋人同士や夫婦間、友人や職場との人間関係でも。相手がこうしてくれるだろうと思っている期待値、過去のその人だったり、普通はこうって意識だったり。

だから、枠を広げて、気楽な構えをなるべく作っていく。「子供は別の人格」「目の前のことに集中しやすい=他のことは忘れる」「友達の影響も受けやすい」「感情の影響が大きい」...いろいろありますが、見聞きしたものから、自分の子供に似ていること、ハマると感じることがあったら、それをしっかり認識できているか、チェックしてみてください。

期待をしちゃいけないって意識ではなく、現在の子供の能力や状態に対して適切な幅の期待かどうかに注目しましょう。自分の子供に対する期待なんて、そうそう捨てられませんから。出来もしないことをやるより、出来ることで前進する方が、遠くまで行けます。

 

自分のパターンを知って、少しずつ対処を覚えていく。

頭にきてしまう時は、一歩下がりましょう。例えば成績を見て話す時に失敗した経験があるなら、成績は一人で見るようにして、子供へのメッセージは手紙や日記を書いてみる。一晩おいて、これを他人に言われるとどう感じるか想像してみる。

書くことで、目と手を使えます。この作業を挟むことで感情の激しい波が収まったり、一旦外に出して目から再入力することで、客観的な位置を取りやすくなる効果は大きく、時間を置いて読み返すと最初に書いたことは結構言い過ぎだったりします。

感情の赴くままに書き出し、それを客観的に眺めることで、自分の鬱陶しさや恩着せがましさ、怒りや見下す気持ちなどを詳らかにしていくことは、人に伝える上でとても有効なこと。誰にも見せずに鼻毛を処理するようなものとして、習慣化すると良いです。

書くこと自体に、自分の鬱憤を吐き出す効果もあるので、誰かにぶつけずに消化する手段としても有効です。心からそのまま言葉を出すと、自分の正当性で相手を殴ろうとしてしまうけど、殴る相手をノートに変えれば傷つく人はいない。「書き殴る」ですね。

これを幾つかのパターンで整理していくと、自分のスイッチが固まってることも見えるはず。そこが、自分の不安とか、人から評価されたいところ。大抵は、正当化とセットになります。

 

教育で、正当性の主張ほどタチの悪いものはほとんどない。

正当性の主張は、正義の鉄槌方式で自分の攻撃性を肥大させるから。攻撃は、相手を潰すためにやるもの。少なくとも何かを伝え、相手を育てる役には立ちません。今やってることを正しいって信じるのは大事。で、本当に正しいなら、キャンキャン喚かない。頑として、落ち着いて、引き算で、低い声で。

苦しいこと、疲れること、面倒なこと、負けること、そういう全てから逃げるより、困難でも粘り強く取り組むことは大事です。登山でも、工作でも、スポーツでも、芸術でも、学問でも、全てのジャンルで大変さはある。

絵を描いてたって、色塗りに失敗して癇癪を起こしたり。ゲームで負けてイライラして泣いたり。工作で難しさに嫌気がさして放置になったり。かけっこで負けたらもう行かないとか。そういうの全部OKではないですね。

ただ楽しいだけで伸びることは稀で、壁を乗り越える大変さはどこにでもあるし、好きなことしかやらないと他の能力を伸ばし損なう。

もしその子が、本物の天才で出会いにも恵まれたら、1つのことしか出来なくても幸せになれるかも知れない。でも、ほとんどの子は、好きなことだけ一日中やっても日本一にさえなれないし、出来ないこと、人より劣ることで攻撃されたり、疎外されたり、見下されることは山のようにある。

楽と楽しいは似てるから、楽な方にだけ流れやすくなるし、大変なことから全部逃げて、好きなことだけやらせても、生き辛くなる可能性は少なくない。今、一生懸命勉強することで、将来に色々な可能性が広がってくる。大体このあたりまでは、悪くないと思います。

では、困難を乗り越えるとか、苦手に感じても努力する、決めたことをやり抜く、ってことを教えるのに、殴ったり、怒鳴ったり、バカにして良いのか。ここがダメです。

出来るまでやる。決めたことを守る。壁を抜ける喜びを教える。負けから立ち上がらせる。どれにも、怒鳴ったり殴ったり侮辱したりは必要ありませんね。社会に出てそういう目に遭うことはあるかも知れないけど、親が子供にやる必要はない。正しいときは相手を攻撃しても良いって考えから、まず自分が離れる。

 

もし、やらかしてしまったなら。

学ぶこと、努力することの先に何があるのか。受験の先に、どんな将来が広がっているのか。そういう話をしても全くやらない子は、受験に参加さえしていない方が多いでしょう。ほとんどの子は、先に良いことがあるなら、山を登りたいと思う。で、しんどさから逃げたり凹んだりしてるだけ。正しいことくらいわかってる。

山を登っている人は今苦しいから、そこをどう切り抜けたか、って話が良い。次点は、頂上の景色とか、休憩所まで後どれくらいって励ますこと。足並みを見て、水を飲ませてあげるのも良い。でも、いかに自分が選んだルートか正しいか力説するのは、黙ってた方が良いレベル、マイナス気味の無駄になる。まして攻撃はマイナスそのもの。

挙句に「お前は意思が弱い」「お前は嘘つきだ」「何回言っても直らない」とかね。なってほしい姿の逆暗示かけて何がしたいのか。もう言いましたか?もし十回言ったなら、二十回は上書きしましょう。「お前の中には強い意思がある」って。百回なら、二百回。千回だって良い。

最近も衝突してるなら、その中の意思を認める。最近はなくても、ちっちゃな頃、良い子になるもっと前の、意思を示した時のこと。おもちゃを手放さなかったり。片付けなかったり。きっとどこかに、自分の意思を示して、通そうとした時があったはず。それを話せば良い。「私は間違った。あなたの中には強い意思があった。まだそれが勉強には使えていないだけ。」これで良いです。

子供は、まだ体も顔も変わりますね。心も同じで、まだ大きく形が変わっていくから、傷ついても治る力も持っている。子供に傷をつけたら一生残る?知ったことじゃない。少なくとも、だから手遅れ、何もしない理由にはならない。深い傷なら浅く。浅い傷なら薄く。薄い傷なら見えないくらいに。痛みがあるなら和らぐように。親の手当てより効くものはないです。

 

答えはとっくに見えているかもしれない。

攻撃することは、尊厳を傷つけるだけでなく、学力の向上にもマイナスです。心や脳が萎縮するから、十全に能力を発揮できなくなる。

サボってる奴隷を無理やり歩かせるには、ムチも有効かも知れません。では、全力疾走してるランナーや、真剣に作業してる職人を殴るとどうなるか。遅くなりますよね。

叱ってやらせるのは、やらないよりやった方がマシって段階でしか伸びない。同じだけやるグループに入ったら、勝ちたい方が勝つ。だから、偏差値55くらいから上の闘いは、奴隷方式で上がっていくのがどんどん難しくなります。特に6年の秋以降は、ほとんどの子がまとまった可処分時間の大半を勉強に注ぎ込む。どこで差が付くかというと、脳が暇な時間です。

1日16時間、塾と家庭で勉強5〜6時間として、残り10時間。学校にいる間や塾への往復、帰宅後〜就寝前の隙間時間の方が、トータルでは大きいですね。休みの日だって、せいぜい8〜12時間くらいで、残りは脳が暇にしてる。この間の時間は、本人が好きなことしか考えません。どう強制しても、一緒に居ない間のことはコントロールできない。それどころか、むしろ居ない間は反動が出ます。

スイッチとか、ポケモンとか、カードとか、お笑いとか、Youtubeとか。こういうのを、即日覚える仕組みが、脳が暇な時の反芻です。この反芻は、気になっていることか、興味のあることしかやらない。ヒマさえあれば考えてる、これが最強なので、勉強を嫌いにさせたら、特に上位層では高確率で競り負けます。

嫌がっていると、周辺に逃げます。塾にはいくけどボーッとしてる。家でも延々と用意とかしてて、勉強はなかなか始めない。わかってるから、逆方向にはいきません。なるべく周辺の、関連してそうなことに逃げる。せっかくやらせるのに、足を引っ張っても仕方ないですね。

大人は失敗の経験もあって割と早くから不安になるから、5年生くらいから気になって反芻を始める人もいる。だから、空き時間全部やって欲しくなる。でも、子供が落ちるかも、って不安を感じるのは、6年の夏くらいだと早い方、遅いと1月になってから。不合格を手にして、やっと感じる子さえいる。

だから、不安由来での反芻を子供に求めても感覚のギャップがあって噛み合わない。楽しむとか、興味とか、勝ちたいとか、凄いって言われたいとか。プラス方向の反芻をしやすくなる工夫をしないとなかなか届きません。

それに、楽しんでいることへの接し方には、学習のヒントが詰まってます。じっと本を見る。何度もカードをひっくり返しては並べ直す。謎の紙にリストを書く。僕の考えたモンスターの絵。やたらと喋って説明したがる。歌って踊る。好きな何かを覚えるときに、自然と繰り返しているパターンにも、個性があります。

これこそがその子の得意な学習パターンで、自分の記憶回路をどう使えば良いか、とっくに見えてることが多い。おしゃべりな子に書かせるとか、歌う子に読ませるとか、効率の悪いことをやってると、これも競り合いで負ける差を生む。子供をよく見てください。親が一番目にしてきた成長過程に、その子の特性がいっぱい見えてるはず。


子供が元気で笑顔、言いたいことを言える関係ならOK。

中学受験の指導を頼むとき、開設したばかりの塾や指導経験のない講師より、多くの合格実績がある塾や経験豊富な講師を選びたくなるのは、経験に期待する部分があるからですね。

何度か触れたことがありますが、ほとんどの親は中学受験を支えるのは初めての経験か、あっても2〜3回。中には最初からとても上手に出来る人もいるでしょうが、そっちの方が珍しい。ざっくり言えば、みんな悩むし、失敗もします。

元気で言いたいことが言える空気なら、苦労しようが、辛かろうが、負けて泣こうが、挫けて意気消沈しようが、良いです。成績が伸びるかどうか、第一志望に合格するかどうか。そんなの、ほとんどは子供の努力と資質が決めること。

中学受験は親が何割とか、気にしすぎは良くありません。手厚いサポートがある方が良いけど、学力や合格に占める割合では、一番大きいのは子供自身の努力と才能、次は塾のテキストやカリキュラムで、親や周囲の力など微々たるものです。

親の責任が大きいのは、自分で勝手に受験を決める事は出来ないから。サポートが必要なのは、努力を継続したり才能を伸ばすことが、まだ小学生の子供だけの力では難しいから。ここを混同しない方が良い。

より良い環境を目指して努力すること。その結果、勝ったり負けたりする経験をすること。頑張ることや、負けを経験すること自体が可哀相なんてのは相手にしなくて良いです。負けることもあるし、失敗することもある。成長するっていうのは、そこから学ぶこと。

何より、努力が必要な状況に身を置いてこそ、自分の弱さを知ることが出来る。やれば出来るとか、根性を出すとか、軽々しく口先で言うより何倍も困難なことを実感できる。工夫して、自分の弱さと向き合えば、大袈裟でなく5年先、10年先、場合によっては一生モノで役立つ知恵と経験が手に入る。

学校や塾では、ほぼ画一的にこうしなさい、って「正しい学習方法」を押し付けられる。覚えてる漢字でも何回も書き取りさせられたり、わかってなくても次に進んだり。当然、ハマらない子には苦痛が多い割に収穫が少ない。努力の割に、結果が伴わないから、劣ってることになる。無限に上にはいけないけど、そこを改善することで、まだ伸びしろがあることはとても多いです。

 

f:id:aswg-tutor:20190718064757j:plain