偏差値60の壁なんてない

中学受験のサポート歴20年以上の経験から、心構えや考え方を公開します。

「成績を良くしたいから頑張る」のは欲。「成績が悪いからもっとやれ」は罰。

出来ることや知識が増えている=学力が伸びているのに、偏差値や順位を見て「出来るようにならない」って表現を選ぶ人は結構いる。これが子供の成績が伸び悩む一因だと思っています。

子供の学力は伸びているのに、それを認めるどころか貶める。子供に一生懸命張り付いて、なるべくやる気を削ごうとしているようなもの。

もちろん、中学受験・志望校合格が目的でやっている以上、偏差値や合否が気になるのは当然だけど、そのために必要なのは学力を受験当日まで積み上げること。出来ないやらない伸びない受からない、ないない言っても役に立ちません。

競争だから、周囲のレベルは見る。受験するから、試験に出る問題に対応する力をつける。でも、目先の模試で良い成績を取ったところで、得られるのはささやかな安心だけ、なんの保証にもなりません。本番に間に合えば良い。

自分が安心したがって、子供にそれを求めるような言動は、伴走役としてはマイナスの振る舞いです。だから、極力「ない」を言わない。出来る、増える、そういう言葉を使うこと。

間違った問題を、出来るまでやる。知らないことは、覚えるまでやる。それを積み上げて、勝負になるところまで持っていく。間に合うかどうか心配なのはわかるけど、だからって間に合って欲しいのに邪魔するのは、焦り過ぎて逆走するのと同じこと。

それぞれの家庭の事情、子供の性質もあるから、最適な方法や言葉選びは違うでしょう。でも、大切なのはその言動が子供の成長、成績の向上にプラスになるのか、ってこと。それによって意欲が漲る、成績が伸びるなら良い。時間とやる気を奪うだけならダメ。

親から見た子供が、自分の期待に応えず、不安にさせる存在=敵のような認識になれば、怒りの沸点も低くなる。ただでさえ受験生は「頑張らなきゃいけない」と思いがちなのに、家の中にも敵視してくる親がいて、子供はどこで回復すれば良いのか。頑張り続けるには、回復が必要です。

不安感に押し潰されそうなら、それは他にぶつけてください。パートナーでも、先輩でも、塾の先生でも良い。子供にぶつければ、足を引っ張り、悪い方向に突き進むだけ。望む結果に必要なこと、役に立つことをしましょう。

 
「出来るようになる」というのは、「出来ない」を通過すること。

出来ること、出来ないこと。この2択で世界を眺めると、選択肢が狭い。何かが下手とか、何かを間違う、人より劣る、人に負けることを恥と感じやすい意識を植え付けると、世界がすごく狭くなる。「出来るようになる」を入れると、選択肢は広がる。

「出来るようになる」っていうのは、最初は出来ないこと。出来ないからスタートして、下手だったり、失敗したりを通過して、出来るようになる。1日30分もやれば1年で200時間近く、3時間なら1,000時間以上。そうすると、全く出来ないことや知らないことではなくなる。

成績も同じ。知らないことを理解したり、覚えたり、使いこなしたり、説明できるようになったり。学力は積み上げた分だけ上がる。でも、偏差値とか合格判定ってやつが、伸びていないという錯覚を強化しやすい。成績の良い子を見て落ち込んだり、悪い子を見てバカにしたり。

学力っていうのは、自分の中に蓄えるもの。中学受験っていうチェックポイントがあるから、そこに合わせて一定の得点を取れるように戦略は立てるけど、そこまでの偏差値は進捗目安、集団での立ち位置確認。大事なのは、新しい知識、必要な学力を養うこと。使えるようになるまで、覚えるまで、出来るまでやること。

 

成績を良くしたいから頑張るのは欲。悪いから頑張れは罰。

自主性や自立心の成長時期に個人差があることは、以前の記事で触れました。これとは別に、勉強をする時の目標設定や約束の仕方で、好きになるか嫌いになるかの分岐点を作ってしまうことがあります。

志望校と今の偏差値が離れている。○月までに10上げよう。今度のテストで5上げよう。といった目標を設定し、とにかく○時間勉強しようとか、このテキストを追加でやろうとか。で、テストの結果が振るわない。勉強が足りないからだ。もっと増やそう。真剣さが足りない。約束を破ったからだ。。。

こういう理屈でやっていくのは、「勉強という罰」を与えているのと同じこと。罰なので、嫌に決まってますね。誰でも受ける罰は少ない方が良い。こういう思いをした人が大人になると、勉強する(させる)こと=苦痛を与えること、と感じてしまいます。で、困難に耐えろ、目標があるだろう、約束したじゃないか、ってやる。これは避けた方が良いです。

自分が劣っているから、罰としてたくさん勉強をしろと言われる。決めたことが出来ないから、良い成績が取れないから、親に愛してもらえない。そんな孤独を感じさせて、成績も上がらない。子供を非難し、自信を失わせ、罰するために、受験を選んだわけではないはず。まるっきり逆ですよね。

しかも、この意識を植え付けてしまえば、仮に志望校に合格しても、そこから次を目指す意欲が失われる危険を高めます。やっと怒られなくて済む、受験=勉強から解放された、と思ってしまう。中学受験がゴールですか?違うはずです。

春休みも意欲と希望を持って準備に取り組み、入学後は新しい仲間と刺激し合って、将来へ続く学びにつなげること。そのためには、勉強が罰であってはいけません。自分の思い、欲を実現させる手段でないと。勉強を頑張ることが親の欲=子供にとっては罰、という構造は、勉強=辛いことという残念な思い込みを生みます。

 

罰でなく、欲で勉強するために

子供と志望校を共有しているなら、本人も成績が足りないことは百も承知です。毎週塾に通って、何時間も勉強して、成績が上がらなくて良いと思っている子なんて、ほぼいないと言えるでしょう。上がりたい欲は、本人の中にもある。だから、罰より欲を使いましょう。

テストの正答率を把握して、高いものから潰していくのは基本ですが、それは自分の実力を基準にしてやっていくべきもの。例えば、このブログの記事で「正答率30%の問題を正解すれば偏差値58〜60」って書いてある。志望校の偏差値はもう少し上だから、まずはその手前の30%までの問題をやろう。これだと、目標は見ているけど、子供の足元がおろそかになります。

テストを見直して、間違った問題に注目する。その問題の解説解答を見て、あ、これならわかったのに。今やれば出来るのに。と感じる問題を選ぶ。9つに分けた帯の、次の段階が目安です。例えば45なら48にあと何点で、どの問題を解けていれば届いたのか。52なら55まで、あと何問か。

その、あと一歩で出来そうな問題、それが出来れば偏差値が上がったはずの問題が次の一段です。安易なミスと、その数問を解けば上がるなら、まずはそれを完璧に仕上げる。あとは週テストなどのカリキュラムにしっかりついていく。1〜2週間後、同じ模試を解いて、しっかり目標得点に到達する。少し遅れたけど、今なら偏差値○が取れる、って実感をさせてあげましょう。

これだけやれば出来る。そのために勉強時間を増やす。この順番が大事です。「出来ないから増やせ」は、似ているけど逆方向。もちろん、その先には受験、志望校合格という目標があります。でも、まずは目先の、これが出来たら俺カッケーで良い。

目標を低くするとか、諦めるという意味ではありません。100段登るのか、200段登るのか、そこに届くまで継続するための目標はあった方が良いです。でも、100段登らなきゃいけないから、とりあえず10段飛べ!って言うのはアホなだけ。羽の生えてる子なら行けるでしょうけど、そういう子はそもそも飛べって言われません。一段一段登って行く。羽はいらない。

目標に子供を合わせるのではなく、子供に目標を合わせる。登り続ける途中で受験を迎えたら、受験を終えてまた登り続ければ良い。大事なのは、思春期に自分の意思で登る力の基礎を築いてあげること、有利な環境を選ぶこと。勉強嫌いにさせたら、台無しですね。

 

f:id:aswg-tutor:20190820170151j:plain