偏差値60の壁なんてない

中学受験のサポート歴20年以上の経験から、心構えや考え方を公開します。

子供の自主性が伸びるタイミングには個人差がある。それまでは伴走すれば良い。

脳のシナプスが6歳で成人の8割、10歳頃にはほぼ成人並みにまで成長することは良く知られていますが、もうひとつ大事なのがミエリン鞘(髄鞘)の形成。これは、脳の伝達の伝導率を高める導線の皮膜のようなもので、部位によって形成時期が異なります。

細かい説明は省きますが、脳の中でもいわゆる運動系や知覚系は、1〜2歳までに機能的にはほぼ完成します。三つ子の魂と言うのは、この部分が完成して世界と関わり出す3歳頃、つまり脳のベースの一番最初のところに何が刷り込まれるかが結構大事ということ。脳の成長と合わせて、吸収と模倣→実行→周囲の反応や結果を体験して学ぶことの繰り返しで成長していきます。

これに対し、意識的な行動の機能は10〜12歳くらいで完成します。つまり、早い子なら10歳くらいで先のことを考えたり、目的のために意欲的に行動したりする枠組みが出来てくるし、良い悪いの判断をしたりする能力もグッと上がってくるけど、遅い子は12歳くらいになる。他にも、意見を論じるような能力や、感情を上手に伝える能力にも関わります。

f:id:aswg-tutor:20190610082918p:plain

脳の発達:シナプスとミエリン鞘の形成時期と、外から見える変化

12歳からだと中学受験には間に合いませんが、こればっかりは成長のタイミングの問題なので、どうしようもない。身長も、中学に入って止まる子もいれば、高校生ですごく伸びる子もいる。ずっと背の順が真ん中くらいで過ごす子もいる。脳の成長時期も同じで、外からコントロールすることは出来ない、完全な個人差です。

立ったり言葉の出る時期、反抗期の強弱にも個人差があるように、10〜12歳の自主性にも個人差がある。10歳では早い方で、知能も高いと周囲からも褒められて神童扱いになるけど、その先はちょっと賢い止まりの子も珍しくない。単に少し早いタイミングで成長して、それが有利に働くだけ。

逆に、12歳頃に出来上がってくる場合は、中学受験には間に合わないから、受験勉強に挑むと自主性がないって怒られたりしやすいけど、その後の成長や到達点に差があるわけでもない。中高になってしっかりする子も、やっぱり珍しくない。「大器晩成」とか「十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人」って言葉もあるように、成長時期の問題。

自主性が育つ前でも、勉強は出来るようになる。

では、この部分の成長が早くないと中学受験では勝てないのかと言うと、別にそんなことはない。年齢が低くても、しっかりトレーニングを繰り返せば国旗や年号を覚えたり、暗算が早かったりするように、勉強自体はただの記憶とか知識の使い方なので、別に覚醒系の成長はそこまで必要ありません。ただ、子供によっては、いわゆる意思の力を十分に発揮する枠自体が出来上がっていないので、自律的行動とか求められても無理なものは無理。

親が主導しないと受験勉強できないのは、怠惰な甘えん坊や育て方の問題ではなく、単に成長のタイミングの問題です。子供の成長を見ながら、その時が来るまでは積極的に伴走すれば良い。ここを間違っていると、親としての自己評価を下げ、子供のことも劣る子と決めつけ、目覚めたタイミングでは「どうせお前は〜」って意思も挫かれることになりかねない。

ちょうど中学受験に取り組んでいる期間中に、この力が出てくる子も多いから、自主性を育てる取り組みをしつつ、タイミングは待つことが大事。芽を潰さなければ、そして目的を持てれば、遅くても中学生になれば自主性は出てきます。

ただその前のタイミングで一度、中学受験という篩に掛けられるから、その段階にない子には手を貸した方が有利なだけ。「あぁ、この子はゆっくり成長するタイプなんだな、受験はさせたいから、一緒にやるか」って感じで良いです。なので、中学受験は本当に個々の成長に合わせた取り組み方が重要になります。

良い行動は承認する。悪い行動は否定する。ここまでは良いです。でも、自主的に行動しないことを責め倒すのはマイナス。中学受験は12歳で受けるし、ここで中高の環境が決まるから、なるべく賢い子が集まる環境に入れたい。だから親主導で、責めたりはしないで、うまく誘導してやらせれば良い。自主性があってもなくても、集中して学べば覚える機能に差はないから、学力自体は伸ばせる。たまたま成長の早い子を見た自主性信仰に騙されないで、子供の成長段階と性質に合うやり方を考えてあげれば良いんですね。

親は腹を括って、その先まで見据えておく方が良い。

勝負をさせる以上「勝ちと負けがある」ってことは、親が腹を括っておかないといけない。「負けたらどうしよう」じゃなく、負けも織り込んでおく。併願プランでも、どこで勝ってどこで負けたかによってこうする、ってプランを練るけど、それのもっと長期的なやつ。

第一志望なら大喜び。第二志望なら満足。第三、第四になると仕方ない。それ以下、或いは公立だったらがっかり。こういう意識しかないのは過酷だし、何より次に続かない。負けたら今日は負けた、今回は負けた、それだけのこと。勝っても負けても、兜の緒を締める。ひとつの闘いが終わったら、次の闘いが待っている。本人より、親こそがその意識をしっかり持って導いた方が良い。

麻布からは3割が東大に進むけど、麻布に入れば30%の確率で東大に行けるクジが貰えるわけではない。上3割、クラス10番にいる努力をすれば東大が見える、高レベルの集団に入れるだけ。周囲の平均より少し高めの意識で取り組めば良いから、割と努力しやすい。東大だけで考えても、多少やりやすい環境ってだけです。

仮に、麻布も受かる可能性のあった子が落ちて、芝と学習院が第二第三だったとする。芝だと東大率が5%だけど、その子が東大に入れる確率が麻布の6分の1になるわけじゃない。学習院なら1%、じゃあ入試に落ちただけで、麻布に行くより30分の1に可能性が激減するのか。そんな訳がないですね。

芝ならレベル的にはクラスで2番が目安になるから、平均よりかなり高めの意識で取り組む。学習院なら学年トップを目指す。それだけの話。周囲のノリが違うだけで、本人の必要な努力量自体は別に変わらない。心身の成熟してくる18歳での受験は、より実力通りの結果が出るから、中高での努力量が足りれば入るし、足りなければ入れない。

難関上位校に入れたら、努力したね、実力も出せたね、ってこと。自主性メインだったら、成長が早いタイプ、ってこと。親主導メインだったら、ゆっくり成長するタイプ、ってこと。

どっちにしろ、13歳〜18歳では成熟していくし、親離れもするし、その間の努力で最終学歴は決まる。中受の貯金と才能だけでどうにかなるものじゃないです。第一志望より偏差値や合格実績が低い学校に入ったら、頑張る量が増えるわけじゃなく、周囲より強くて高い目的意識が必要になるってこと。がっかりするんじゃなくて、気合を入れるところです。

 

また長くなったので、心と行動の自由については次の記事にします。